なんか人間関係がドライになったな

コラム

令和の昨今、どうにも人間関係がドライになった気がしてならない。

インターネットにスマートフォン、SNSにAI……。たしかに、昔とは比べものにならないくらい、世の中は便利で快適になった。

しかし、親しい友人や旧友の近況をSNSの画面越しに確認するだけで満足してしまい、直接声を聴く機会は確実に減った。 「いきなり電話をかけるのは迷惑。まずはメールかLINEで」――それが今の時代のマナーであり、常識だ。

ご多分に漏れず、僕もそんなスマートな時代にすっかり順応している。 ただ、そんな自分をどこか冷ややかに見つめる、もう一人の僕もいるのだ。

「ぶっちゃけ、昭和や平成の初期あたりまでのほうが楽しかったな」と。

当時は友人の自宅に電話をかけるのが当たり前で、それがメインの連絡手段だった。今から思えば、あの頃の人間関係はもっと泥臭く、そして濃密だったように思う。年賀状や手紙、ハガキをポストに投函するときの、あの独特のワクワク感も、いま思えばなかなか良いものだった。 時代がどれほど移り変わっても、根っこの部分でどうしても変わりきれない自分がいる。

振り返れば、僕という人間は取り立てて特技があるわけでもなく、決して秀才の部類でもなかった。短気ではないけれど、どちらかと言えば情に流されやすいタイプだ。 自分ではまったく覚えていないのだが、昭和40年代の後半、僕がまだ4〜5歳だった頃のエピソードがある。天王寺の歩道橋で見かけた、今でいうホームレスのおばあさんの姿がよほど気にかかったのだろう。幼い僕は「あのおばあさん、かわいそうやから、1000円あげて」と親にせがみ、実際に渡してもらったらしい。昭和のあの時代、幼子にとっての1000円は大金だ。

僕のようなタイプは、競争社会では大成しにくいのかもしれない。それでも、効率や合理性ばかりを追い求める「ドライな人間」にだけはなりたくないと、強く思っている。

自分ではメンタルが強いほうだとは思っていないのだが、どうやら意外なところに頑固な芯があるようだ。

以前は、人間関係の希薄さを表すときに、ややネガティブな意味合いを込めて「クール」という言葉を使っていた。しかし、今の時代「クール」は格好いい、プラスの意味で使われることが多い。 だからこそ僕は、あえて意識して「ドライ」という言葉をよく使うのである。

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