生成AIは、もはやビジネスにおいて無視できない存在である。
文章作成、情報整理、アイデア出し、論点整理、比較検討など、その用途は非常に広い。私自身も生成AIを活用しており、これからの時代、生成AIは多くのビジネスパーソンにとって必需品に近い存在になると考えている。
法律家や士業にとっても同様である。
しかし、ここで一つ考えておきたいことがある。
生成AIを「エンジン」にしてしまってよいのだろうか。
私は、生成AIはエンジンではなく「ブースター」として使うべきだと考えている。
自動車や航空機に例えるなら、エンジンとは自ら推進力を生み出す中核部分である。
専門家にとってのエンジンとは、自分自身が身につけた知識、経験、思考力、判断力、そして技能である。
法律家であれば、条文を読む力、法的論点を発見する力、事実関係を整理する力、法令や判例、行政庁の取扱いなどを調査する力、そしてそれらを踏まえて自分自身で判断する力がエンジンとなる。
ところが、生成AIが非常に便利になったことで、この順番が逆転する危険性もある。
分からないことがあれば、まず生成AIに聞く。
文章を書くときも生成AIに書かせる。
論点整理も生成AIに任せる。
その回答が正しいかどうかについても、自分自身では十分に検証できない。
この状態になると、もはや生成AIがエンジンであり、人間がその出力を利用しているだけになってしまう。
特に法律実務では、これは危険である。
生成AIはもっともらしい回答を生成することがある。しかし、その回答が常に正しいとは限らない。
法改正が反映されているか。
条文の適用関係は正しいか。
判例や行政実務の理解に誤りはないか。
その自治体独自の条例、規則、審査基準、要綱などを確認する必要はないか。
そして何より、目の前の依頼者の具体的な事実関係に本当に当てはまるのか。
最後にこれらを判断するのは、専門家本人である。
だからこそ、生成AIを使いこなすためには、逆説的ではあるが、人間自身の専門能力が必要なのである。
自分に十分な知識があれば、生成AIの回答に違和感を覚えることができる。
自分に調査能力があれば、生成AIが示した論点を手掛かりとして一次資料まで確認できる。
自分に文章力があれば、生成された文章の良し悪しを判断し、自分の言葉として再構成できる。
生成AIの性能が上がれば上がるほど、それを評価する側の能力も重要になるのである。
これは法律知識だけの話ではない。
例えばCADである。
生成AIにCADの操作方法を尋ねることはできる。作図手順についてアドバイスを受けることもできる。
しかし、実際の図面を前にして、寸法、縮尺、レイヤー、求積、配置などを確認しながらCADを操作し、必要な図面を完成させる技能は、最終的には人間自身が身につけなければならない。
つまり、自分自身に蓄積された技能は強いのである。
生成AIのサービスが一時的に利用できなくなっても、自分の知識や技能まで消えるわけではない。
生成AIがなくても仕事ができる。
しかし、生成AIを使えばさらに速く、さらに広く、さらに深く仕事ができる。
私は、この関係が理想だと考えている。
生成AIを使わないことに価値があるのではない。
むしろ積極的に使えばよい。
ただし、生成AIに自分の専門性そのものを代替させてはいけない。
まず、自分自身のエンジンを鍛える。
法律を学ぶ。
専門分野を掘り下げる。
現場を経験する。
文章を書く。
人と話す。
必要であればCADのような技術も身につける。
そうして作り上げた強いエンジンに、生成AIという高性能なブースターを装着するのである。
強いエンジンに強力なブースターを組み合わせれば、大きな加速を得ることができる。
しかし、エンジンそのものが存在しなければ、ブースターだけでは専門家として走り続けることはできない。
生成AIは必需品である。
だからこそ、頼り切ってはいけない。
AIに仕事をしてもらうのではなく、自分自身が仕事をするためにAIを使う。
生成AI時代に専門家として価値を持ち続けるために必要なのは、AIから距離を置くことではない。
自分自身の専門能力というエンジンを鍛えたうえで、AIを徹底的に使いこなすことである。
生成AIは、エンジンにするよりブースターにしたほうがいい。
エンジンは、あくまでも自分自身なのである。

