時代劇の金字塔『必殺シリーズ』の主人公・中村主水。昼行灯と揶揄されながらも、南町や北町の奉行所で定町廻り同心として飄々と町を巡回する彼の姿には、近世日本のリアルな法制・警察行政の実態が驚くほど精緻に凝縮されている。 現代の感覚から見ると、主水の立ち回りは「汚職まみれの不良警官」に見えるかもしれない。
しかし、日本法制史の視点で当時の行政・治安システムを紐解くと、彼ら町同心が果たしていた役割は、単なる警察官の枠を遥かに超え、現代でいう「生活安全課警察官」と「許認可特化の行政書士」を一人で兼ね備えたハイブリッドな存在であったことが浮かび上がってくる。
今回は、中村主水という現場官僚を軸に、江戸時代の風紀取締りと許認可行政の深層を考察する。
1. 「定町廻り同心」という強大な現場裁量権 江戸の町奉行所に属する同心は南北合わせて200名余り。その中で「定町廻り同心」の席に座れるのは、わずか10名前後の選ばれたエリートであった。 彼らが担当したのは、吉原遊郭、歌舞伎の芝居町、市中に広がる岡場所(非公認の遊所)、さらには煮売屋や居酒屋、辻々に出るおでん屋台に至るまでの日常的な査察・臨検である。 当時の行政法制において決定的に重要だったのは、「事件化するか否かの第一次判断権(生殺与奪権)を現場の同心が握っていた」点にある。
・手入れか、お目こぼしか:門限(夜四ツ=午後10時)を過ぎて酒を出す居酒屋や、怪しい間取りで密売淫を行う茶屋を見つけた際、即座にお白洲送り(逮捕・営業停止)にするか、現場の説教と示談(内済)で済ませるかは同心の胸先三寸であった。
・治安維持と情報網の構築:違反をあえて見逃して恩を売り、店主や屋台の親父を探索の協力者(情報提供者)に仕立て上げる――これこそが、限られた人員で百万都市・江戸の治安を維持する合理的な現場の知恵であった。
2. 許認可コンサルタントとしての同心 江戸時代、歓楽街や飲食店の開業には町奉行所への願出や鑑札(営業許可証)の取得が必要であった。しかし、現代のような中立的な代理人(行政書士)が制度化されていなかった当時、営業希望者が最も頼ったのが現場の同心である。 同心は、奉行所の内規や決裁ライン(与力・内寄役)の審査基準を熟知していた。そのため、裏で相談料や謝礼を受け取り、以下のような実質的な「許認可指南」を行っていたのである。
・申請名目の適法化指導:そのままでは通らない岡場所やグレーな興行に対し、「旅人のための急速茶屋」「素人浄瑠璃の稽古場」といった、行政の抜け穴を突く名目で願書を提出させる。
・決裁権者への事前ロビイング:審査を担当する上司(与力)の屋敷へ内々に足を運び、「あそこは治安上問題ない」と口添えして裏判(許可)を取り付ける。
・現場のコンプライアンス指導:「衝立を外して見通しをよくしろ」「水桶を増やして防火基準を満たせ」と、査察で引っかからないための具体的対策を現場でアドバイスする。 現代の法感覚では完全な利益相反・職権乱用であるが、公式の俸禄が低く抑えられていた同心にとって、こうした「相談料」や吉原・大店からの「付け届け(顧問料・用心棒代)」は構造化された正当な役得(給与補填)として機能していた。
3. 明治の近代化がもたらした「分業と民主化」 主水が一人二役で仕切っていたこの前近代的な官民癒着システムは、明治維新後の近代法制改革(特に明治5年の『司法職務定制』)によって劇的な転換を迎える。
【江戸時代(同心・奉行所の一元統制)と明治以降の近代制度(三権分立と分業)の対比】
・現場取締り・査察・手入れ → 警察(生活安全課・刑事課) ・書類作成・名目指南・手続指導 → 行政書士・司法書士(代書人)
・訴訟対策・示談斡旋・身請けトラブル → 弁護士(代言人) ・証文・契約の公認 → 公証人(証書人) 明治の制度改革がもたらした最大の功績は、「お上のさじ加減や袖の下による恩恵」から「法規に基づく正当な権利行使」への民主化であった。 取り締まる側の公権力(警察)と、国民の権利手続を支援する民間専門職(士業)が制度的に分離されたことで、恣意的な法執行や不透明な裏取引は法的に遮断され、近代的な法治主義が確立していったのである。
結びに代えて 屋台の熱燗を舐めながら店主に目配せし、袖の下を懐に入れて「うまく立ち回りな」と呟く中村主水。 彼の姿は、前近代社会において「法の厳格な執行」と「都市の現実的なガス抜き」の間を泥臭く調停していた、江戸の行政・警察実務の生々しいリアルを映し出している。 現代の整然とした法治システムや士業制度のルーツを辿ると、そこにはかつて主水のような現場官僚たちが、権力と知恵を武器に路地裏で繰り広げていた人間味あふれる駆け引きの歴史が横たわっているのである。

