問われるのは資格ではなく実力

コラム

よくSNSなどを見ていると、国家資格を前面に押し出して発信している人に出くわす。

「合格率○%の難関資格」
「独占業務はこれだけある」
「この資格は他の資格よりも格上だ」

そうした発信を見るたびに、少し違和感を覚える。

もちろん、国家資格を取得するための努力や学習を否定するつもりはない。資格取得までの道のりは決して平坦なものではなく、その過程で培われた知識や経験には大きな価値がある。

しかし、お客様が本当に知りたいのはそこだろうか。

お客様が知りたいのは、

「この人は何ができるのか」

「どのような課題の解決が得意なのか」

ということである。

極めて当たり前の話だが、お客様は資格そのものを買うわけではない。専門家が提供する知識や経験、そして課題解決力に対して対価を支払うのである。

にもかかわらず、一部の専門家は、いつまでも資格試験に合格した成功体験に留まり続けているように見える。

難関資格であることや独占業務の範囲を繰り返し語る。しかし、その多くはインターネットで検索すればすぐに分かる情報でもある。

昭和の時代であれば、それでも十分に通用したのかもしれない。

情報へのアクセス手段が限られていた時代には、「先生」と呼ばれる専門家が持つ知識そのものに大きな価値があったからである。

しかし、令和の今は違う。

AIの発達によって、知識そのものへのアクセスはかつてないほど容易になった。法律や制度の概要であれば、誰もが短時間で調べられる時代である。

だからこそ、これからの専門家に求められるのは、単なる知識の保有ではない。

その知識をどのように活用し、どのように整理し、どのような形でお客様の課題解決につなげることができるのか。

そこに真の価値がある。

国家資格そのものに価値がないと言いたいのではない。

国家資格は、専門家として活動するための信頼の土台であり、市場への入場券でもある。

しかし、入場券を持っているだけで評価される時代は終わった。

これから問われるのは、

「何の資格を持っているか」ではなく、
「何ができるのか」である。

そして、

「何ができるか」だけではなく、
「どのような価値を提供できるのか」である。

資格への誇りは大切だ。

だが、それ以上に大切なのは、目の前のお客様の課題に向き合い、期待を超える価値を提供し続けることである。

令和の専門家に求められるのは、資格への安住ではなく、実力への研鑽なのではないだろうか。

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