「デュアル(dual)」と「ダブル(double)」との違い—夏樹静子先生の「デュアル・ライフ」を読了して—

コラム

「デュアル・ライフ(二拠点生活)」とは?平日は都会でスマートに働き、週末は豊かな自然の中で過ごす。そんな軽やかで洗練されたライフスタイルを想起させる言葉であるが、先日、夏樹静子先生のサスペンス小説『デュアル・ライフ(二重生活)』を読み終えたとき、この言葉が持つもう一つの「凄み」に背筋が震えるような感覚を覚えた。

本作で描かれるのは、軽やかな二拠点生活などではなく、一人の男が社会的地位のある日常の裏で、過去の因縁が絡むもう一つの人生を同時進行させる、文字通りの「二重生活」である。

この「地理的・社会的に完全に分断された二つの日常を往還する」という息詰まるようなサスペンスの骨組み(アーキテクチャ)に触れたとき、ミステリーファンなら誰もが、ある偉大な不朽の名作を思い出すはずだ。そう、松本清張先生の金字塔『ゼロの焦点』である。

『ゼロの焦点』の主人公・鵜原憲一は、東京のエリート広告マンとしての顔(Aの日常)を持ちながら、金沢の元警察官という全く異なる過去と内縁の妻(Bの日常)を隠し持っていた。清張先生は「東京ー北陸」という圧倒的な地理的分断と戦後社会の歪みを、見事なサスペンスへと昇華させた。夏樹先生の『デュアル・ライフ』は、まさにこの清張サスペンスのDNAを美しく受け継ぎ、「男の身勝手な二面性が、いかに女性の人生を狂わせ、そして裁かれていくか」をモダンに深化させたオマージュ作品と言える。

ここでふと、言葉の設計に目を向けてみる。なぜ「ダブル・ライフ」ではなく「デュアル・ライフ」なのだろうか。英語のニュアンスには決定的な違いがある。

ダブル(double):ベースにあるものが「2倍・2重」になるという【数量や規模の拡大】。 (例:仕事を単純に掛け持つ「ダブルワーク」)

デュアル(dual):独立した別の機能や人格が「対(ペア)」になっている【質の二面性】。 (例:役割の異なる2つのレンズが並ぶ「デュアルカメラ」)

つまり「ダブル」は地続きの1つの人生が2倍に膨らんだ状態であるが、「デュアル」はそれぞれ独立した、全く異なる2つの「顔」や「世界」が同時に存在する状態を指す。男たちが単に生活を2倍(ダブル)楽しんでいたわけではなく、決して交わってはならない2つの人格(デュアル)を設計し、その維持に狂奔したからこそ、破滅のドラマが生まれたのである。

しかし、夏樹先生の『デュアル・ライフ』が真に凄惨で、かつ美しいのは、ここからの心理描写にある。

実はこの作品、一般的なサスペンスとは異なり、殺人事件は一切起こらない。それにもかかわらず、男女の愛憎、親友との関係、会社で巻き起こるクーデター劇など、様々な人間たちの心理描写が恐ろしいほどリアルに描かれ、読者を惹きつける。

作中、過去の裏切りが露わになっていくが、劇的な復讐劇へと舵を切るのではないところが、本作の極めて成熟した文学性である。裏切った恋人に対しての恨みも、時が経てば風化してくれる場合もある。臨んだ結末ではなかったとしても、裏切った側もまた、後になって深い後悔の念に苛まれる場合もある。

男女の恋愛感情というのは、決して善悪だけでは判断できない複雑なものである。客観的に見れば裏切った側が100%悪いといえる状況であっても、当事者の間では「それでも、縁があって愛し合った仲」という捉え方もできる——そんな、人間の心の機微や、割り切れない情念のグラデーションを、夏樹先生は冷徹かつ温かい眼差しで描き出している。

私の勝手なイメージであるが、この物語の鍵を握る「高坂史」という女性を読み進めるうち、頭の中で一人の女優の姿が自然と重なった。唐田えりかである。物腰が柔らかく、どこか落ち着いていて、スラリとした佇まい。そして何より、あの透明感のあるショートカットもよく似合う雰囲気が、作中で静かに、しかし確かな存在感を放つ「史」のイメージにあまりにもピタリと嵌まるのである。彼女のような静謐な強さを持つ女性の視線があるからこそ、男の「デュアル」な欺瞞がより鮮烈に浮き彫りになる。

これからの時代、私たちは自分の中に複数の役割や価値観をしなやかに並立させる「デュアル」なライフ設計を求められる場面が増えるだろう。しかし、それは決して誰かを欺くためではなく、自分自身の人生をより立体的に、豊かに駆動させるための設計でなければならない。

言葉の奥にある設計思想と、そこに生きる人間のリアルな心理を解き明かすことで、見慣れた景色や小説の風景がガラリと変わって見える。それこそが、物事の本質を見通す「エメラルドビュー」の醍醐味ではないだろうか。

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