「火付盗賊改方」とは?〜「町奉行所与力・同心」との関係は?〜

コラム

時代劇『鬼平犯科帳』などで知られる「火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためがた・通称:火盗改)」。旅笠に羽織姿で広域を巡回した「関八州取締出役(八州廻り)」に対し、火盗改は主に江戸市中およびその周辺を拠点とし、凶悪犯罪に目を光らせた幕府直轄の特別警察組織である。

今回は、この火盗改の組織的な特徴と、同じく江戸の治安を担った「町奉行所」の与力・同心との間に存在した凄まじい競合関係について解説する。

  1. 火付盗賊改方とは?~常設ではない「特別機動捜査隊」~

江戸時代後期の江戸は人口の激増に伴い、放火や集団強盗、無法者による押し込みなどの重大犯罪が多発していた。これに対処すべく天和3年(1683年)に誕生したのが火盗改である。

火盗改の最大の特徴は、常設の役所ではない点にある。幕府の軍事組織である「先手組(さきてぐみ)」の長(先手頭)が本職と兼任(加役)する形で任命された。そのため専用の庁舎はなく、指名された先手頭の私邸がそのまま「火付盗賊改方役所」となったのである。

配下の与力や同心も先手組の部下がそのまま就任した。日頃から武芸を磨く純粋な「武官(軍人)」組織であり、放火魔の検挙、強盗団の摘発、賭博や偽造通貨の捜査など、江戸の社会秩序を揺るがすテロ・凶悪犯罪の阻止に特化した強大な機動力誇った。

  1. 「町奉行所」と「火盗改」の決定的な違い

江戸の治安維持といえば「町奉行所」が有名だが、両者の組織風土は対極にあった。

町奉行所の与力・同心は世襲制の「文官(専門官僚)」である。法の手続きや裁判の正当性、町人の生活秩序を重んじ、地道に裏付けを取る慎重な捜査を行った。

一方、火盗改の与力・同心は将軍親衛軍出身の「武官」であり、期間限定で任命される「成果主義の特捜部隊」であった。任期中に手柄を立てて加役手当や出世を得る必要があったため、結果重視の強硬な捜査を行った。苛烈な拷問を辞さない取り調べ手法も相まって、「火盗改に引かれたら生きて帰れない」と悪党だけでなく一般民衆からも恐れられた。

  1. 手柄争いと「強気な火盗改」

同じ江戸市中を管轄とする両者の間では、激しい縄張り争いや手柄の横取りが日常茶飯事であった。

町奉行所の同心が何ヶ月もかけて地道に張り込み、いざ摘発しようという直前に、情報を察知した火盗改が武力と機動力に任せて一気に踏み込み、逮捕の手柄をさらっていくといった事態が頻発した。

現場での力関係においても、将軍に直接謁見できる格上の先手頭をバックに持ち、高い戦闘能力と拷問権限を誇る火盗改の与力・同心のほうが圧倒的に強気であった。町奉行側も、下手に衝突して公務執行妨害のように排除されるリスクを避けるため、「火盗改が出張ってきたら手柄を譲って関わらない」という遠慮の空気が存在していた。

おわりに

幕府上層部(老中など)は、町奉行所だけに権力を独占させると生じる「癒着や組織の硬直化」を防ぐため、あえて武闘派の火盗改を投入して競わせるライバル構造を意図的に利用していた面もある。

「慎重な手続きと法秩序を重んじる町奉行所」と、「強権と機動力で結果を叩き出す火盗改」。現代の警察機構における行政警察と特別捜査隊の葛藤にも通じるこの二律背反のシステムが、巨大都市・江戸の治安を裏から支えていたのである。

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