国家資格士業の世界には、時々、不思議な相談者が現れる。
相談には来る。
質問もする。
熱心にメモも取る。
「先生のお話、とても参考になりました。」と頭を下げる。
しかし、受任に至らない。
それ自体は何も悪くない。受任契約を結ぶかどうかは相談者の自由だからである。
問題は、その後だ。
A先生で無料相談。
次はB先生。
さらにC先生。
また別のD先生。
And毎回、受任に至らない。
このような人に出会うと、ふと思う。
この人は何を求めているのだろう。
鵺のように正体が見えない
日本の妖怪に「鵺(ぬえ)」というものがいる。
猿の頭、狸の胴、虎の手足、蛇の尾。つまり、何者なのか分からない存在である。
案件流れを連発する相談者も似ている。
依頼者なのか、情報収集者なのか、研究熱心な人なのか、節約家なのか、単なる優柔不断なのか。
輪郭が見えない。だから士業側には独特のモヤモヤ感が残る。
無料相談が目的になっている人
本来、無料相談は入口である。
相談内容を整理し、専門家との相性を確認し、必要であれば受任契約へ進む。
しかし中には、無料相談そのものが目的になっている人がいる。
知識を聞く。ノウハウを聞く。ヒントを聞く。手続きの注意点を聞く。そして帰る。
結果として、知識・ノウハウ・ヒントだけ引き出して他の専門家に頼むか、もしくは自分で手続きをする。
もちろん違法ではない。だが、士業の立場からすると、複雑な気持ちになる。
「先生」と呼ぶが依頼はしない
興味深いのは、こういう人ほど礼儀正しいことだ。
「先生、ありがとうございました。」
「先生は本当に親切ですね。」
「勉強になりました。」
うわべは先生と呼ぶ。感謝も述べる。しかし依頼はしない。
それが悪いという話ではない。ただ、相談時間が長くなれば長くなるほど、士業側には「この人は何を求めていたのだろう」という感覚だけが残る。
長居する人は要注意
特に要注意なのは、相談時間を大きく超えて長居する人である。
質問が終わらない。次の質問が始まる。さらに関連質問が続く。
気がつけば一時間。二時間。本来なら有料相談レベルの内容に達している。
ところが本人には、その認識が薄いことがある。
こうなると、士業側から見れば時間泥棒に近い。なぜなら、士業の商品は知識だけではない。時間そのものでもあるからだ。
「悪意」よりも「想像力」の問題
私は、この種の相談者の多くが悪人だとは思わない。むしろ問題は別のところにある。
それは、相手の立場に立って物事を考える姿勢に乏しいことである。
自分は一時間質問しただけ。そう思っている。
しかしその一時間は、専門家にとっては仕事の時間である。勉強時間だったかもしれない。書類作成時間だったかもしれない。家族との時間だったかもしれない。
その想像が抜け落ちると、本人に悪意がなくても、結果として相手を疲弊させてしまう。
有料相談のみという選択
だから近年、「有料相談のみ」という方針を採る士業が増えている。冷たいからではない。専門家自身を守るためである。
無料相談は善意で成り立つ。しかし善意だけでは続かない。
案件流れが続けば、モヤモヤ感が残る。ストレスが溜まる。やがて、メンタルやられかねない。そうなる前に線を引く。それは決して悪いことではない。
結論
では、国家資格士業の先生に対して、いわゆる「案件流れ」を連発させる相談者はもはや鵺なのか。
私はこう思う。その人は鵺というより、「依頼者」と「情報収集者」の間を漂う存在である。
だから正体が見えない。だからモヤモヤする。だから鵺に見える。
もっとも、本当に問題なのは受任に至らないことではない。専門家の時間や労力を当然のように受け取りながら、その価値に思いを巡らせないことだ。
恋泥棒は心を盗む。だが案件流れ常習者が奪うのは、ときに専門家の気力であり、集中力であり、時間である。
そして国家資格士業にとって最も警戒すべき相手は、無理難題を言う人ではない。
「先生、ありがとうございました」と笑顔で去りながら、次の無料相談先を探している現代の鵺――なのかもしれない。

