〜生成AIは知的インフラと捉える〜
生成AIの普及によって、文章作成、情報整理、アイデア出し、調査、資料作成など、これまで人間が時間をかけて行ってきた知的作業の多くが、一気に効率化されるようになった。
私は、この流れを「生成AIによって専門家が不要になる」とは捉えていない。
むしろ生成AIは、これからの仕事を支える知的インフラになっていくのではないかと考えている。
電気やインターネットが普及したからといって、それを利用する専門職が不要になったわけではない。生成AIについても同じである。
生成AIを使うこと自体が特別な能力なのではなく、生成AIを前提として、その上にどのような専門能力を積み上げるのか。
そこが、これから重要になってくる。
その意味で、生成AIが普及する今だからこそ、私はあえてCADのような地道な実務スキルに価値が出てくるのではないかと思っている。
「下積みを嫌がる風潮」の中で、地道な努力が差になる
今の時代は、効率化やタイムパフォーマンスが強く意識される。
もちろん、無駄な作業を減らすこと自体は悪いことではない。
しかし、その一方で、少しでも遠回りに見えること、すぐに成果が出ないこと、何度も失敗しながら覚えることを避けようとする、いわば下積みを嫌がる風潮もあるように感じる。
生成AIは、そうした風潮をさらに加速させる可能性もある。
分からないことがあればAIに聞く。
文章はAIに書かせる。
調査はAIに整理させる。
面倒なことは極力省く。
便利である。
しかし、便利さに慣れすぎると、知らず知らずのうちに横着になる危険もある。
世の中には、どうしても自分で手を動かし、何度も試行錯誤しなければ身につかない技能がある。
CADは、その典型ではないだろうか。
線を引き、寸法を入れ、縮尺を確認し、レイヤーを管理し、図面全体のバランスを見ながら修正していく。
非常に地味である。
しかし、こうした作業を一つずつ身につけていくには、結局のところ地道な努力が必要になる。
ある意味、良い意味で泥臭い世界である。
そして、皆がその泥臭さを嫌がる時代だからこそ、そこで踏ん張れること自体が強みになる。
CADスキルのマスターは意外に難しい
CADは、外から見ると「パソコンで図面を描くソフト」に見える。
そのため、操作方法さえ覚えれば簡単なのではないかと思われやすい。
しかし、実際に取り組んでみると、CADスキルのマスターは意外に難しい。
単にコマンドを覚えればよいわけではない。
どの線を基準にするのか。
どこから描き始めるのか。
寸法をどう取るのか。
縮尺をどう考えるのか。
図面として何を見せ、何を省くのか。
修正しやすいデータ構造をどう作るのか。
そこには、図形認識、空間把握、正確性、根気、手順設計など、複数の能力が求められる。
つまりCADには、ある程度の向き不向きがある。
努力すれば誰でも一定水準には到達できるとしても、上達のスピードや苦痛の感じ方は、かなり適性に左右されるように思う。
ここが、資格試験型の勉強とは少し違うところである。
文系エリートほど、意外なところで心を折られることがある
これは少し刺激的な言い方になるが、CADは、いわゆる文系エリートが心を折られ、挫折しやすい技能の一つかもしれない。
文章を読む。
制度を理解する。
論理的に説明する。
試験問題を解く。
こうした能力に長けた人であっても、CADではそれがそのまま通用するとは限らない。
分からない原因が言語化しにくい。
「なぜ線が思った位置に来ないのか」
「なぜ寸法が合わないのか」
「なぜ図形が崩れるのか」
こうした問題に直面すると、理屈だけでは解決できず、実際に手を動かして身体感覚に近いところまで操作を染み込ませる必要が出てくる。
ここで、それまで「勉強が得意だった人」ほど戸惑うことがある。
努力したらすぐ結果が出る世界ではないからだ。
何度も間違える。
何度も描き直す。
昨日できたことが、今日はなぜかうまくいかない。
それでも続ける。
この良い意味で泥臭い蓄積が、CADスキルになっていく。
だからこそ、一度身につければ簡単には代替されない。
生成AIが得意な仕事と、現場で必要な仕事は必ずしも同じではない
生成AIは、言語化された情報を扱うことについて極めて強力である。
文章を要約する。
制度を整理する。
論点を抽出する。
ひな形を作成する。
考え方の選択肢を提示する。
こうした作業については、今後ますますAI活用が当たり前になっていくだろう。
一方で、行政実務や許認可の世界では、それだけで仕事が完結するわけではない。
土地の形状を確認する。
建物の寸法を測る。
図面を読み取る。
配置を検討する。
現況と資料を照合する。
役所が確認できる形に図面化する。
こうした作業には、現実の対象を正確に把握し、それを図面という形に落とし込む能力が必要になる。
特に開発許可など、土地・建物と密接に関わる行政手続では、図面を扱えるかどうかが実務能力の差になりやすい。
そこでCADが一つの強みになる。
「小宇宙を描く」という感覚
私は、CADで図面を描く行為には、少し独特の面白さがあると思っている。
画面上には、無数の線、数字、記号が並ぶ。
しかし、その一つ一つに意味がある。
道路があり、敷地があり、建物があり、境界があり、高低差があり、その中に現実の空間が凝縮されていく。
言ってみれば、CADとは画面の中に一つの「小宇宙を描く」作業である。
最初はただの線だったものが、少しずつ意味を持ち始める。
そして最後には、その図面を見た第三者が、現地の状況を理解できるようになる。
文章とは違う方法で、現実世界を情報化する。
ここにCADの面白さがある。
同時に、生成AI全盛の時代においても、人間が現実を観察し、構造を理解し、それを正確な形に落とし込む能力の価値は残り続けるのではないかと思う。
生成AIとCADは競合するのではなく補完関係にある
私は、生成AIかCADか、という二者択一で考える必要はないと思っている。
むしろ両者を組み合わせることに意味がある。
例えば、ある許認可案件について、
生成AIを使って法令や審査基準の論点を整理する。
必要書類を洗い出す。
行政庁への確認事項を整理する。
依頼者へのヒアリング項目を作成する。
そして、現地確認や資料確認を行い、CADを使って必要な図面を作成する。
このような仕事の進め方が可能になる。
つまり、
生成AIが「考える仕事」を支援し、CADが「現実を形にする仕事」を支える。
この組み合わせは、これからの専門実務において非常に相性が良いのではないだろうか。
生成AIは「専門性の代用品」ではなく「専門性の増幅装置」
生成AIが登場すると、
「この資格はAIに奪われるのではないか」
「この仕事はなくなるのではないか」
という議論が起こりがちである。
しかし私は、少し違った見方をしている。
生成AIは専門性そのものの代用品というより、専門家の能力を増幅する装置として考えた方がよいのではないか。
法務知識だけを持っている人。
CADだけを扱える人。
生成AIだけを使える人。
それぞれにも価値はある。
しかし、
法務を理解し、現場を確認し、CADで図面を作り、さらに生成AIで調査・整理・文書化を高速化できる人。
そこまで組み合わせることができれば、提供できる価値は一段違ってくる。
これが、自分なりの強みになる。
重要なのは「AIに何ができるか」だけを見ることではない。
AIを使う自分自身に、何を積み上げていくのか。
ここに専門家としての競争力が生まれる。
知的インフラが整うほど「人間側の専門性」が問われる
私は生成AIを、これからの社会における知的インフラの一つとして捉えている。
インターネットが使えること自体が特技ではなくなったように、いずれ生成AIを使うこと自体も特別なことではなくなるだろう。
そのとき問われるのは、
「AIを使えますか」
ではない。
「AIを使って、あなたは何を実現できますか」
ということになる。
そこで差になるのは、現場経験、専門知識、判断力、そして実際に成果物を作り上げる技能である。
生成AIが便利になればなるほど、「楽をする能力」だけでは差がつかなくなる。
むしろ、他人が面倒だと思うこと、時間がかかること、簡単には身につかないことに、きちんと向き合える人が強くなる。
地道な努力をする。
良い意味で泥臭く取り組む。
向き不向きがある世界でも、適性を見極めながら少しずつ技術を磨く。
その積み重ねが、AI時代の強みになるのではないだろうか。
生成AIという強力な知的インフラを使いながら、自分にしかできない実務技能を一つずつ増やしていく。
そしてCADの画面上に、一枚一枚、自分なりの小宇宙を描いていく。
私は、そうした一見遠回りに見える積み重ねこそが、生成AI時代の専門家にとって、意外に大きな差になるのではないかと思っている。
