古くから伝わることわざ「目は口ほどに物を言う」。言葉を取り繕っても、目の表情や視線にはその人の真情や本質が宿るという意味だが、この言葉の重みを日常の隅々で実感した時代は、後にも先にもあのコロナ禍をおいて他になかったのではないだろうか。
顔の半分以上が白い不織布で覆われ、口元の笑みも、引き結んだ唇の緊張も、すべてマスクの奥へと隠されてしまった数年間。街を行き交う人々、対面で商談をする相手、あるいは久しぶりに顔を合わせた知人。相手の感情や意図を汲み取るための手がかりを、ただ一点、その目元だけに頼らざるを得なくなった。
口先だけの愛想笑いは通じない。マスクに遮られた口元が動いていても、目が笑っていなければ本当の親愛は伝わらないし、逆に言葉を発しなくても、瞳の奥に宿る熱意や誠実さ、あるいは迷いや恐れは、驚くほどダイレクトに相手へと伝播していった。物理的に口を塞がれたことで、皮肉にも人間は「言葉以上に雄弁な視線」の力を、研ぎ澄まされた感覚で受け止めることになったのである。
対話とは、単に音声を交わすことではなく、視線の交差を通して相手の心を受け止め、自らの真摯さを差し出すことだ。あの閉塞と制約の時代を経て、日常が戻った今だからこそ、改めて「目を見つめて語り合う」ことの重みを噛みしめたい。口元が自由になった今であっても、最後に人を動かし、確かな信頼を結ぶのは、やはりその瞳に宿る澄んだ光なのだから。
