去り際の潔さ

何が美しい、あるいは格好いいかといえば、断然「去り際の潔さ」であろう。

これは、組織におけるポジションにおいても、あるいは人と直接会うような日常の局面においても、全く同じことが当てはまる。

例えば、会社経営において、いつまでもダラダラと長きにわたって「代表」の座に就き続けるのはスマートではない。最高のタイミングで、周囲から「できればもう少し居てほしい」と惜しまれるくらいで退くのが理想である。

もちろん、これは口で言うほど簡単なことではなく、実際には極めて難しい選択かもしれない。長年築き上げた地位や権限(代表権)を手放すには、相当の覚悟と哲学が必要だからだ。

しかし、これはビジネスに限った話ではない。人と会っている時の振る舞いも同様である。 あまりにも素っ気ない引き際は相手に違和感や不快感を与えかねないが、ダラダラと長居をせず、ある程度のところで美しく切り上げる間合いこそが大切なのである。

芸能界に目を向ければ、上岡龍太郎師匠の引退は、まさにその極みであった。当時は「まだ早い、もったいない」と誰もが思ったものだが、あの引き際の鮮やかさと潔さがあったからこそ、彼の知性と美学は今なお色褪せない伝説として輝いている。

惜しまれつつ、静かに幕を引く。 そんな「去り際の潔さ」をデザインすることこそが、真に成熟した大人の、そしてプロフェッショナルの佇まいではないだろうか。

タイトルとURLをコピーしました