好きな日本映画がある。仲代達矢主演、五社英雄監督の『北の螢』(1984年)だ。
舞台は明治初期、北海道・石狩の監獄である。
主人公は仲代達矢扮する月潟典獄。「典獄」とは獄長のことで、今でいう刑務所長だ。
映画は、吹雪舞う極寒の日に囚人たちが連行されるシーンから始まる。
やがて月潟典獄による一人の囚人の処刑が行われた。口論となり反抗的な態度を見せた囚人の首を、日本刀ではねるのだ。
明治時代とはいえ、しかも裁判もかけずにいきなり斬るなど、現代の感覚では到底考えられない。映画は冒頭から観る者の度肝を抜く。極めて不穏な出だしである。
その後も月潟典獄の恐怖政治は続く。理詰めではなく力で力を抑え込む。理性もへったくれもない。
刑務所幹部たちは夜な夜な芸者や遊女と遊び三昧だ。他人には厳しく、自分たちには甘い。その典型である。まさに治外法権の世界だ。
だが、月潟は一人の女性に心を奪われる。すると、それまで見せなかった人間的な優しさが少しずつ表れてくる。
そんな矢先、囚人たちが反旗を翻し、大規模な反乱を起こす。月潟たちは囚人たちに捕らえられ、月潟は愛する女性とともに極寒の地を奴隷のようにひたすら歩かされる。
月潟は典獄を解任される。国家に使い捨てにされたと悟った月潟は怒り心頭に発する。月潟と次期典獄との間には一触即発の不穏な空気が漂う。
次期典獄の用心棒が月潟を斬ろうとするも、月潟はとっさにサーベルを手にして用心棒を突き刺す。次期典獄は月潟の迫力に圧倒され、そして、自分の劣勢に動揺する。怯え切った表情の次期典獄を後にして月潟は部屋を出る。
古武士のごとく最後まで矜持を貫いた月潟。しかし、近代化・産業化が急速に進む明治という時代は、もはや月潟のような男を必要としなくなっていた。
月潟自身もそのことを悟っていたのだろう。権力にしがみつくことなく、静かにその場を去っていく。
吹雪の石狩に消えていくその後ろ姿には、敗者の哀愁とともに、最後まで己の美学を貫いた古武士の矜持が漂っていた。私はそこに、この映画最大の魅力を見るのである。

