いわゆる「一銭食堂」とは?

コラム

大正末期から昭和の初めにかけて、日本の都市部、とりわけ大きな災害や不景気に揺れる街の片隅に、独特の活気を放つ場所があった。

それが今回ご紹介する「一銭食堂(いっせんしょくどう)」である。

現在の私たちにとってのワンコインランチや激安チェーン店の究極の先祖とも言えるこの場所は、単に安い食事を提供するだけでなく、激動の時代を生きる人々の心と身体を温める、都市のセーフティネットでもあった。

今や「一銭食堂」という言葉は死語ではないが、昭和という時代を知らない若い世代にはなかなか通じにくいかもしれない。しかし、昭和世代の人間からすれば、この言葉には極めてノスタルジックな響きがある。現に、平成初期あたりまでは下町に安価な定食屋さんがまだ残っており、私もそれらのお店を親しみを込めて「一銭食堂」と呼んでいたものである。

■ 誕生の背景:焼け野原から立ち上がった人々の胃袋 一銭食堂が爆発的に増えたきっかけは、1923年(大正12年)の関東大震災である。 家も財産も失った多くの労働者や市民が、明日の復興に向けて手軽にエネルギーを補給できる場所を求めていた。さらに、その後に日本を襲った昭和恐慌による深刻な不景気が、この超低価格食堂の需要を決定的なものにした。

名前に「一銭」とあるが、これは現在の価値でいえば数十円から100円程度。すべてのメニューが一銭だったわけではなく、「一品一銭から数銭で食べられる」という意味合いが強かった。

■ モダンな洋食を「庶民の味」へ では、当時の人々はそこで何を食べていたのだろうか。

注目すべきは、当時まだモダンな高級品だった「洋食」を、具材を簡素化して格安で提供した点である。 水で溶いた小麦粉にネギやわずかな肉片、そしてウスターソースをかけて焼いた「一銭洋食」は、手軽にハイカラな気分を味わえる大人気メニューとなった。これがのちにキャベツや豚肉をまとい、戦後、私たちが親しむ「お好み焼き」へと進化を遂げることになる。

他にも、ライスカレーやコロッケ、手早くすすれるうどんや汁物など、限られた予算で極限までお腹を満たせる工夫が凝らされていた。

■ 時代を超えて、形を変えて生き続けるDNA 通貨としての「銭」が法律で廃止された現在、当時の意味での一銭食堂はもう残っていない。

しかし、京都の祇園に今も残る「壹錢洋食」のように、そのメニュー自体を名物として受け継ぐ店があるほか、私たちの身近にある「立ち食いそば」や、好きなおかずを小鉢で選ぶ「セルフ式の大衆食堂」のシステムには、確実に一銭食堂のDNAが息づいている。

また、近年地域を支えている「子ども食堂」の福祉的な役割も、かつて一銭食堂が担っていた「誰もが温かいご飯を食べられる場所」という優しさに通じるものがあるのではないだろうか。

効率化が進む現代だからこそ、かつて激動の時代をワンコイン(一銭)で支え合った、大衆食堂のバイタリティと温もりに、どこか愛おしさを感じてしまうのである。

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