SNSのタイムラインを眺めていると、他人の綻びや未熟さを見つけては、安全地帯から石を投げつける光景が日常茶飯事のように流れてくる。
少し不用意な発言をした若手や、泥臭く足掻きながら空回りしている挑戦者を見つけると、待ってましたと言わんばかりに群がり、嘲笑し、上から目線の正論を振りかざしてマウントを取る。相手の足元を見て「こいつなら反撃してこない」と踏んだ途端、日頃の鬱憤を晴らすかのように言葉の刃を突き立てるその姿は、お世辞にも美しいものとは言えない。
しかし、冷静に考えてみてほしい。他人のアラを突いて優越感に浸る行為など、誰にでもできる「ノーリスク・ノーコスト」の最も安易な自己顕示に過ぎない。
自分の懐を痛めることもなく、汗を流すこともなく、ただスマホの画面を数回タップして嘲笑を浴びせるだけで、手軽に「自分の方が上だ」という錯覚に浸ることができる。そこには覚悟もなければ、背負うべき責任も何一つ存在しない。
一方で、誰かのために自分の「時間」「労力」「お金」を差し出し、無償で手を差し伸べることはどうだろうか。それはマウントを取ることの何十倍、何百倍も難しく、重い行為である。
自分の有限な人生のリソースを削る覚悟がいる。中途半端には関われないという責任を背負わなければならない。何より、そこまで身銭を切ったとしても、感謝される保証などどこにもなく、時には誤解されたり裏目に出たりするリスクすら引き受けなければならない。
他人の未熟さをあげつらって悦に入る人間と、不器用ながらも泥をかぶって誰かの支えになろうと動く人間。どちらが本当に価値のある生き方をしているかは、火を見るより明らかだ。
外野の騒音に耳を傾ける必要はない。他人の看板を指さして笑うだけの観客席に身を置くのではなく、たとえ不格好であっても、自分の足で立ち、誰かのために自分のリソースを使える人間でありたい。壊す側ではなく、支える側に回ることの尊さを、私たちは決して見失ってはならない。

