法は最低限の倫理 〜法そのものが正直者が馬鹿を見ないようにつくられることを要する〜

コラム

「法は最低限の倫理である」

法学の世界で古くから語り継がれるこの言葉に触れるたび、民法学者・末川博先生が遺した次の一節が静かに胸に去来する。

『「法は最低限の倫理である」といわれているように、順法の根底には法以前のモラルの確立がなければなるまい。すなわち、倫理、道徳、宗教、風習などに根ざす国民意識が法以前のものとして立派に育成されることが望まれると同時に、法そのものが正直者が馬鹿を見ないようにつくられることを要する。』 (末川博『末川博随筆集』栗田出版会、1975年)

社会を律するルールとしての法律は、私たちが共に生きる上での「底抜けを防ぐ最後の防波堤」に過ぎない。その防波堤の上に築かれる日常の営みや人間関係を支えているのは、条文そのものではなく、互いを慮る信義誠実の心であり、嘘をつかない、約束を守るといった法以前のモラルである。

どれほど精緻な法制度を整えたところで、それを扱う人々の側に誠実さや自律の精神が失われてしまえば、法はたちまち「法の網の目をかいくぐり、うまく立ち回った者が得をする」ための冷徹な技術へと堕してしまう。形式論理や言葉尻を弄んで抜け道を探す者が潤い、真っ直ぐに努力し、誠意を尽くす者が報われないのだとしたら、それは法の本質を見失った本末転倒の姿と言わざるを得ない。

「法そのものが正直者が馬鹿を見ないようにつくられることを要する」という末川先生の言葉は、制度の設計者や法を司る実務家のみならず、現代社会を生きる私たち一人ひとりに対する鋭い警鐘でもある。

法や制度は、机上の空論でも特権的な道具でもなく、現実に血を通わせて生きる生活者を守り、力づけるために存在する。ルールを遵守することは当然の前提としながらも、本当に大切なのは「そのルールの根底にある精神をどう生かすか」という姿勢だ。

目先の損得や形式的な正論に惑わされることなく、人としての温かな信義と公正さを何よりも重んじること。正直に、誠実に歩む人が報われる社会であり続けるために、私たちは常に「法以前の良心」に立ち返る勇気を持っていたい。

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