風俗営業の許可申請や届出といえば行政書士の専業業務である。これは現代の実務家や事業主にとってごく当たり前の常識だ。しかし、昭和26年(1951年)に行政書士法が制定される以前、いわゆる戦前の時代において、この分野の実務はどのように行われていたのだろうか。
現在の風営法のルーツを辿ると、そこには行政書士の前身である「行政代書人」の存在と、当時の警察行政との深い関わりが見えてくる。今回は、現代の風営法業務の原点ともいえる戦前の代書実務について紐解いていく。
- そもそも「行政代書人」とは何者だったのか?
明治から大正初期にかけて、官公署や裁判所に提出する書類の作成を請け負う人々は、一般に「代書人」や「公用代書人」と呼ばれていた。
この代書人制度に大きな転機が訪れたのが、大正9年(1920年)の内務省令「代書人取締規則」の制定である。この省令により、従来の代書人は制度上、明確に二つの職種へと分離された。
・司法代書人: 裁判所や検事局、陸軍裁判所などに提出する書類を作成(現在の司法書士) ・行政代書人: 警察署や都道府県庁(官公署)に提出する書類を作成(現在の行政書士)
この分離により、行政代書人は「警察署長の認可を受け、警察管轄下の許可・届出手続きを独占的に取り扱う実務家」として位置づけられた。事務所の多くは警察署の目と鼻の先や敷地周辺に構えられ、地域社会と警察行政をつなぐ実務の窓口となっていたのである。
- 戦前には「風営法」がなかった? 当時の規制と呼び名
現代でいう「風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)」という統一された単一の法律は、戦前の日本には存在しなかった。
では、当時の行政代書人たちは何を根拠に手続きを行っていたのだろうか。それは、内務省令や各府県令として出されていた「〜取締規則」という警察規制の枠組みである。
当時、現在の風俗営業に相当する業態は、公的には「特殊営業(とくしゅえいぎょう)」と呼ばれていた。また、業界や実務の間では以下のような区分で呼ばれるのが一般的であった。
・三業(さんぎょう): 貸座敷(娼妓のいる店)、芸妓屋、料理店(待合)の総称。花街・花柳界の中核。 ・遊興営業(ゆうきょうえいぎょう): カフェー、バー、ダンスホールなど、宴席や接客を伴う娯楽・飲食店。
これらを規制していた代表的な法令が、「特殊営業取締規則」や「貸座敷芸妓娼妓取締規則」、あるいは大正末期から昭和初期にかけて急増した「ダンスホール取締規則」といった府県令(警察令)であった。
- 行政代書人が請け負った「特殊営業」の代書実務
当時の特殊営業は、警察犯処罰令や各種取締規則に基づき、非常に厳格な警察の監視下に置かれていた。営業を開始・継続するためには、所轄警察署長や府県知事宛てに「鑑札(かんさつ)交付申請」や「営業許可申請」を提出する必要があったのだ。
行政代書人が手掛けた具体的な業務には、次のようなものがあった。
一、営業許可・鑑札交付申請書の作成 店舗の開設や営業主の身元、調書などの申請書類作成。
二、稼業・稼方許可申請 芸妓・娼妓・給仕婦(カフェーの女給)などの登録や鑑札交付に関する手続き。
三、店舗構造図面・間取り図の作成 客室の配置、出入口の位置、照度や見通しといった構造要件の立証。
特に大正末期から昭和初期にかけて「カフェー」や「カフェーバー」、エロ・グロ・ナンセンスの時代風潮に乗った「ダンスホール」が都市部で爆発的に流行すると、警視庁や各府県警察は治安・風俗維持の観点から取締りを急激に強化した。
照明の明るさ、仕切りの高さ、客席の見通しなど構造要件が精細化・複雑化するにつれ、一般の営業主が自力で申請書や図面を作成することは極めて困難になった。ここに、警察法令と図面作成に長けた行政代書人の専門性が不可欠となり、風俗関連の手続きは行政代書人の主要な看板業務として定着していったのである。
まとめ:時代を超えて受け継がれる「警察手続のプロ」
戦前の「行政代書人」が扱った「特殊営業の鑑札・許可申請」は、昭和26年(1951年)の行政書士法制定、そして昭和23年(1948年)の風俗営業取締法(現・風営法)成立を経て、現代の行政書士による風営法業務へと脈々と受け継がれている。
時代とともに「特殊営業」から「風俗営業」へと名称を変え、カフェーやダンスホールからゲームセンターやデリヘル、コンセプトカフェへと対象業態は変化した。しかし、「法令上の構造要件を精査し、警察署(公安委員会)へ提出する正確な書類と図面を作り上げる」という行政代書人以来の専門的役割の本質は、今も昔も変わっていない。

