「あきらめずに受け続ければ、いつかは必ず合格できる」 資格試験の世界では、このような励ましの言葉がよく聞かれる。 実際に、不撓不屈の精神で数回目の挑戦で見事に栄冠を勝ち取る方はおられるし、その努力には心からの敬意を表せざるを得ない。
しかしその一方で、法律職の国家資格試験というシビアな現実を見渡すと、「受験回数を重ねるほど、かえって合格が遠のいていく」という、逆説的な現象が存在するのもまた事実である。 たとえば司法試験のデータを見ると、初回受験者の合格率が最も高く、受験回数が増えるにつれて合格率が低下していく傾向が長年示されている。もちろん、これだけで因果関係をすべて断定することはできないが、少なくとも「回数を重ねるほど有利になる」とは言えない現実がここにある。
なぜ、このような現象が起こるのだろうか。 私はその本質的な理由が、単なる知識の多寡ではなく、「思考の固定化」にあると考えている。 初学者は、スポンジのように物事を吸収する。 講師の指導を素直に受け入れ、判例や学説を整理し、自身の答案をブラッシュアップしていく柔軟性を持っている。
ところが、不合格という結果を何度も経験するうちに、良くも悪くも「自分なりの解き方」「自分なりの答案の型」が固まってしまうことがある。 本人は必死に努力を重ねているつもりでも、実際には「ズレた思考パターン」を何年も愚直に反復してしまっている――という罠に陥っているケースは少なくない。
法律職の国家資格試験は、単なる「努力の絶対量」を競うものではなく、「正しい方向への努力」を厳格に問う試験である。 進むべきベクトルがわずかでも狂っていれば、勉強時間を積み重ねるほど、その「誤った癖」を強固に定着させてしまうことになる。 さらに、長期化に伴うメンタル面への影響も無視できない。
「今年もダメだったらどうしよう」という焦燥感や、累積する自己否定感は、本番で本来の実力を発揮することを阻む大きな足枷となる。それに加え、年齢や生活環境の変化によって、仕事や家庭と勉強との両立を迫られ、純粋に机に向かえる時間が物理的に減少していくという現実的な問題も横たわる。
つまり、受験回数そのものが悪なのではない。 不合格を重ねるプロセスの中で生じる「思考の硬直」「学習のマンネリ」「精神的プレッシャー」「環境の変化」が、結果として合格のハードルを上げてしまっているのである。 だからこそ、いま真に必要なのは、ただ闇雲に回数を重ねることではない。
「これまでと同じ勉強」を惰性で続けるのをやめ、自身の弱点を冷徹なまでに客観視し、必要であればこれまでの学習スタイルを大胆にリセットする勇気を持つことである。 法律職国家資格試験は、知識の量を競う試験であると同時に、「自分自身を客観的に修正できる人」が最後に勝つ試験でもある。
努力は決して裏切らない。 ただし、その努力が「正しい方向」を向いているかどうかは、常に点検し続ける必要がある。 真に合格を掴み取る人とは、単に「勉強を継続した人」ではなく、「合格するための勉強」へと自分をアップデートし続けた人なのである。

