ミステリー映画の最高傑作『瞳の奥の秘密』(2009年、アルゼンチン)〜元捜査官の執念と意外な結末〜

コラム

2009年、第82回アカデミー賞外国語映画賞を獲得したアルゼンチン映画の金字塔『瞳の奥の秘密』。本作は、緻密に練られたサスペンスでありながら、国家の暗黒期を描いた重厚な社会派ドラマであり、そして大人のための極上のビター・ロマンスでもある。

物語は、連邦刑事裁判所の検察事務官を定年退職したベンハミンが、25年前に未解決のまま闇へと葬られた「新婚女性暴行殺人事件」を巡る小説の執筆を思い立つところから動き出す。

名優リカルド・ダリンの枯れた色気と「越えられなかった壁」

主人公ベンハミンを演じるのは、アルゼンチンを代表する名優リカルド・ダリン。現場叩き上げのノンキャリア実務官として歳月を重ねた彼の佇まいは、ロマンスグレーの髪と刻まれた皺、そして憂いを帯びた眼差しに、男の年輪と渋い色気を漂わせている。

彼が25年間忘れられなかったのは、事件の凄惨さだけではない。当時、直属の上司である若き検察官として赴任してきたイレーネへの想いだった。米名門コーネル大学を出た上流階級出身のエリートである彼女は、25年後の現在、重職である予審判事へと華々しく出世を遂げている。

互いに惹かれ合い、視線ひとつで感情を通わせながらも、ノンキャリアの事務官とキャリア検察官(現・判事)、庶民と良家というあまりにも高い「敷居の高さ」に阻まれ、ベンハミンは自ら一歩を引いてしまった。その臆病さと悔恨が、彼の人生の針を25年間止めていたのだ。

「情熱」が暴く真相、国家の暗部と残酷な私刑

本作を傑作たらしめているのは、サッカースタジアムを舞台にした伝説的なワンカット追跡劇に象徴される「人間の情熱」の描写だ。「宗教も顔も変えられるが、情熱だけは変えられない」。その執念で一度は真犯人ゴメスを法廷に引きずり下ろしたベンハミンたちだった。

しかし、ゴメスは街の札付きのワルでありながら、反体制派を弾圧する極右組織に属し、親軍事政権の手先として暗躍していた人物だった。軍事独裁前夜の不穏な時代背景の中、国家権力の「後ろ盾」によってゴメスはあっけなく無罪放免となり、逆に手厚く守られてしまう。必死に捜査を尽くしたベンハミンたちの正義は、腐敗した国家暴力の前に完膚なきまでに握りつぶされたのである。

だが、物語はそこで終わらない。25年の時を経てベンハミンが目撃した結末は、想像を絶するものだった。妻を奪われた夫モラレスが選んだのは、犯人を殺すことではなく、「自らの手で25年間小さな檻に幽閉し、生かしたまま孤独を味わわせる」という究極の私的制裁だった。

「恐れ」から「愛」へ

復讐の檻に囚われ、自らの人生をも暗闇に閉ざしてしまったモラレスの姿は、過去への執着に縛られていたベンハミンの合わせ鏡でもあった。法を信じた元実務官として言葉を失いながらも、彼は過去の呪縛から解き放たれる道を選ぶ。

タイプライターに遺された「TEMO(私は恐れる)」の文字に「A」を一文字書き足し、「TE AMO(君を愛している)」へと変えて歩き出すラストシーン。瞳の奥に宿る秘密の重さに息を呑み、静かな余韻に深く浸れる珠玉の一本である。

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