秋風が肌をかすめ、街の空気がにわかに澄み始める10月。この季節を迎えるたび、胸の奥底に張り詰めていたあの特異な緊張感が、確かな手触りをもって蘇ってくる。
令和8年度行政書士試験の本番まで、いよいよ1か月を切った。全国の受験生たちが最後の追い込みに身を削っているこの時期、私はちょうど2年前——令和6年度(2024年度)の秋、みずから退路を断って挑んだあの極限の4か月間を思い返さずにはいられない。
あの挑戦において、何が最も過酷だったか。それは単に膨大な知識を詰め込むことの苦痛だけではなかった。自営業者として、秋の行楽シーズンという年間最大のかき入れ時をみずから手放さねばならなかった現実である。
10月から本試験のある11月第2週までの日曜日、私は教室の看板を下ろした。当然ながら売上は目に見えて減る。世間が抜けるような秋晴れの下でレジャーや行楽を心ゆくまで楽しんでいるサンデー午後、私は重い教材を抱え、難波の雑踏へと向かっていた。
南海なんば駅の改札を出て、行楽客や買い物客でごった返す人波に逆らいながら、地下通路をひたすら西の果てまで歩く。地下鉄の各路線を潜り抜け、動く歩道を乗り継いでようやく辿り着くOCAT(大阪シティエアターミナル)のLEC難波校。駅から遠く離れたその会場へ着いた頃には、すでに足も息も削られていた。
教室の扉を開ければ、普段から講義を共に受けて結束しているLEC本科生たちが作り出す独特の空気が漂う。予備校に通わず独学で机に向かい続けてきた私にとって、そこは完全なる「アウェーの戦場」だった。13時から16時までの180分間、吐き気をもよおすような重圧と疲労感の中で、ただマークシートと記述用紙に向き合い続ける。自ら売上を削り、背水の陣を敷いて乗り込んでいる以上、弱音など吐く余地はどこにもなかった。
そもそも、私の受験スケジュールは常識的な合格ロードマップから完全に逸脱していた。
勉強を開始したのは6月。土日も現場がフル稼働していたため、受験生が場慣れのためにこぞって受ける7月から9月の会場模試は、物理的に1度たりとも受けることができなかった。土曜日休みを前提にペース配分を組み立てられるビジネスマンと比べ、自営業者の週末はあまりにも不利な戦場だった。土曜日の仕事を終えて疲労困憊のまま夜を迎え、前日調整の余白など一切ないまま日曜の模試へ突入する。
世の受験セオリーでは、早稲田経営出版の『合格革命(肢別過去問集)』を春先から何周も回し、秋口に『LECウォーク問(5肢択一過去問集)』へと繋ぎ、10月に入れば直近の過去問を年度別に180分計って解くのが「王道」とされている。
だが、私にそんな優雅な時間は残されていなかった。
分厚い肢別過去問集を開いたのが7月。お盆を過ぎてからようやくウォーク問に着手するという、狂気じみた急勾配を駆け上がっていた。インプットの追いつかない頭にひたすら条文と判例を叩き込む作業が連日続き、10月に入っても「180分で60問を年度別に解く」という予行演習など、本番を迎えるまでただの1度すらこなす余裕はなかった。
私が唯一受けることのできた実戦形式は、10月の第2週と第3週に行われたLECの「直前ヤマ当て模試」全2回のみである。直前期ゆえに受験者層も限られ、難易度も公開模試やファイナル模試に比べれば素直で、実力を正確に測る物差しとしては心許ないと言われる模試だった。それでも、前日調整すら封じられた極限状態の中、その2回で合格点を叩き出したことだけが、孤立無援の自分に残された唯一の砦だった。
「もう二度と、あんな辛い思いはしたくない。受けるのは、人生でこの1回きりだ」
その逃げ場のない執念だけが、未知の試験改正に揺れた令和6年度の荒波を突破させ、4か月の独学一発合格という結果をもぎ取らせたのだと思う。
あれから2年。今年、令和8年度のヤマ当て模試は全1回に再編されたと聞く。時代の制度や模試の形がどれほど変わろうとも、11月の決戦に向けて自身の限界と向き合う受験生たちの孤独な戦いに変わりはないはずだ。
日曜日の午後、静まり返った部屋でふと時計を見る。13時から16時。あの鉛筆の走る音、身体を削りながら文字を追った3時間の熱量を思い出すたび、二度とは戻りたくないあの秋の凄惨な日々と、それを潜り抜けた先にある今という時間のありがたさを、静かに噛み締めている。

