嘉吉の乱・赤松館の惨劇

コラム

1441(嘉吉元)年6月24日、結城合戦の勝利を祝う名目で、守護大名・赤松満祐の京都屋敷に招かれた第6代将軍・足利義教。管領・細川持之をはじめとする幕府の重臣たちも同席し、宴は和やかに進んでいた。

惨劇は、宴の酒宴が最高潮に達したときに起こる。

庭におびただしい数の鴨が放たれ、将軍・義教がそれを鑑賞しようと身を乗り出した瞬間、突如として屋敷の馬屋から馬が一斉に解き放たれた。暴れる馬の狂乱で「雷が落ちたか」のような大音響とパニックが館内を包む。

義教が「何事だ」と不審に思った次の瞬間、赤松の兵が一斉に障子を蹴倒して乱入してきた。

義教の目の前で刀が閃き、あっという間に将軍の首が落とされた。天下を恐怖で支配した「万人恐怖」の絶対者が、あっけなく命を落とした瞬間であった。

■ 恐怖に震え上り、逃げ惑う幕府幹部たち

このあまりにも電撃的な暗殺劇に対し、同席していた管領・細川持之や畠山持国ら幕府の最高幹部たちは、将軍を守るどころではなかった。

目の前で血飛沫が舞う凄惨な光景と、赤松勢の圧倒的な殺気に完全に呑まれ、立ち向かう者など誰もいなかったのである。持之をはじめとする大名たちは、身の危険を感じて我先にと屋敷から逃走を図った。

慌てて屋外へ逃げ出そうとする幕府幹部たちに対し、赤松側はさらに追い打ちをかける。屋敷の門を固く閉ざし、逃げ道を塞いだ上で混乱に乗じて切りかかったため、館内はパニック状態に陥った。

持之らは必死の思いで門を破り、あるいは塀を乗り越えて自邸へと逃げ帰ったと伝えられている。自邸に駆け込んだ持之はすぐに門を固く閉ざし、赤松軍の追撃に怯えながら屋敷に籠城した。

「万人恐怖」と恐れられた将軍のあまりにもあっけない最期と、それに直面してただ逃げ惑うことしかできなかった幕府幹部たちの醜態。

この赤松館での一夜こそが、室町幕府の「将軍の権威」が物理的にも精神的にも完全に崩壊した決定的な瞬間であった。

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