SNSを開けば、学歴や難関資格の看板を誇示し、互いの優劣を競い合うような言説が後を絶たない。どの大学を出たか、どんな独占業務の看板を持っているか。そうした属性で人を測り、序列をつける風潮は、いつの時代にも形を変えて現れる。
しかし、実社会の荒波の中で本当に問われるのは、「どの門をくぐってきたか」ではない。「目の前で困っている生身の人間に、どれだけ深く寄り添い、泥臭く実務を動かせるか」――結局のところ、現場の勝負はそこに尽きる。
どれほど華々しい経歴を並べ立てようと、それは入口の通行手形に過ぎない。現実の課題は、机上の論理や条文の暗記だけで解けるほど単純ではない。特に、人の想いや利害、歴史が複雑に絡み合う現場においては、権威の傘に安住した言葉など何の処方箋にもならない。血の通った対話を重ね、相手の不安や痛みを我が事として引き受け、自らの足で現場を歩いて活きた解を手繰り寄せる。その地道で泥臭い営みの中にしか、本物の仕事は宿らない。
「なんでも当たり前」と傲る者は、自分の力だけで立っていると錯覚し、足元の脆弱さに気づかない。だが、真に確かな成果を出す人は「お陰様で」という謙虚さを忘れない。土台が堅牢であるからこそ、外野の雑音に惑わされることも、看板を振りかざして虚勢を張る必要もないのだ。
世間が勝手に作り上げた物差しや階層論に一喜一憂することなく、自ら選んだ持ち場に深く根を張り、静かに腕を研ぎ澄ます。置かれた場所で最善手を積み重ね、目の前の人に誠実を尽くすこと。その愚直な足元の固め方こそが、誰にも奪えない揺るぎない信頼をつくっていく。

