ソフト・ファムファタールがかえって残酷な映画「イヴォンヌの香り」(1994年フランス)〜「愛しすぎるか、愛が足りないのが人間だよ」〜

コラム

男を破滅へと引きずり込む毒婦をファム・ファタールと呼ぶなら、パトリス・ルコントが描いたイヴォンヌは、爪も牙も持たない「ソフト・ファムファタール」とでも呼ぶべき存在だ。だが、暴力や裏切りの意志をまったく帯びていないからこそ、その佇まいはかえって残酷な痛みを残す。

1958年、初夏のレマン湖畔。徴兵逃れのヴィクトールが迷い込んだ瀟洒な避暑地で、イヴォンヌは白のサマードレスの裾を翻し、悪気のない無邪気さで男を魅了する。背中の開いたドレス、湖上の風に揺れるサーキュラー・スカート、脱ぎ捨てた下着を彼のポケットに滑り込ませる気まぐれな軽やかさ。そこには男を罠に嵌めようとする狡猾さは微塵もない。彼女はただ、陽光のきらめきと刹那の快楽だけを吸って生きる、実体なき美しい幻影にすぎない。

残酷さが輪郭を帯びるのは、ヴィクトールがその夢の中に「結婚」という名の現実を繋ぎ止めようとした瞬間だ。アメリカへ渡ろうという提案に曖昧な微笑みを浮かべ、出発の朝に何も告げず忽然と姿を消す。悪意による決別なら怒りで忘れ去ることもできただろう。しかし、彼女の生家で差し出されたハッカ水のように、残されたのは憎しみすら湧かない甘く淡い苦味だけだった。

12年後の冬、冷たいブルーのトーンに沈む湖畔で、老医師マントが静かにこぼす。「愛しすぎるか、愛が足りないのが人間だよ」。

掴もうとした瞬間に指の隙間をすり抜け、揮発して消えていったイヴォンヌの香り。実体を持たぬまま過去の光の中に置き去りにされた男は、二度と戻らない眩しい夏を、冬の寒気の中で反芻し続けるしかない。愛を適量で測れなかった者が背負う、甘く静かな終身刑のようなノスタルジーである。

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