「四条大宮」の昭和の熱気と記憶〜昔、立命館大学への経由駅〜

コラム

阪急京都線の地下ホームに滑り込む特急電車。階段を駆け上がり、地上へ出ると、四条大宮の交差点には独特のざわめきと生活の匂いが満ちていた。

1990年4月から1994年3月までの4年間、私にとってこの場所は、立命館大学衣笠キャンパスへと向かう毎日の起点だった。交差点のバスターミナルから市バス55系統に乗り込み、千本通、北野白梅町を経て学び舎へと揺られていく。朝の通学ラッシュに揉まれる日々の中で、四条大宮は「ただ通り過ぎる場所」でありながら、その街が放つ濃密な気配は皮膚感覚として記憶の奥底に焼き付いている。

当時の四条大宮には、まだ昭和の熱気が色濃く残っていた。

かつて1963年に河原町へ延伸されるまで、ここは阪急の終点だった。駅名こそ長らく名実ともに「京都駅(京阪神京都駅)」を名乗り、延伸とともに「大宮」へと改称されたが、地上の嵐電や市バス、そして街を行き交う人々にとっては、親しみを込めてずっと「四条大宮」であり続けた。

嵐電との乗り換え客、無数の路線バス、そして行き交う人々。その圧倒的な人の波を飲み込むように、「京新宿」と称された歓楽街が路地裏に口を開けていた。映画黄金期を支え、時代劇の熱狂を伝えた「大宮東映劇場」。あの堂々たる看板を毎日横目に眺めながら、結局一度もその重い扉を押すことはなかった。「いつでも行ける」と思っていた場所は、2006年に静かにその役目を終え、今となってはセピア色の小さな悔恨として胸に残る。

街角から漂う「餃子の王将」1号店の活気、そして交差点のランドマークとして長年親しまれ、惜しまれつつ幕を下ろした「天下の焼肉 大将軍」。駅前の路地や新宿会館の奥へと続くディープな迷宮を、学生時代の私は深く知ることなく通り過ぎていた。

やがて2001年のダイヤ改正で、かつてのターミナル駅を特急が素通りするようになった。街の風景は少しずつ整い、静けさを取り戻していったが、後院通が斜めに切り取る空や、バスを待つ間に見上げた街並みの輪郭には、確かにあの時代の猥雑で力強いエネルギーが息づいていた。

通学の最短ルートを足早に駆け抜けていた、二十歳前後の日々。あの交差点の熱気と排気ガスの匂い、そして銀幕の余韻は、通り過ぎたからこそ忘れがたい、私の青春の幻影である。

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