北欧フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督の代表作『浮き雲』(1996年)。久しぶりにこの映画の余韻に浸りながら、「やっぱりこの世界観、たまらなく好きだなあ」としみじみ噛み締めている。
物語の舞台は、深刻な不況にあえぐ1990年代半ばのヘルシンキ。 主人公は、路面電車の運転士を務める夫ラウリと、伝統ある名門レストラン「ドゥブロヴニク」で給仕長として働く妻のイロナ。決して贅沢は望まず、真面目に、誠実に日常を積み重ねてきた中年夫婦だ。
ところが、時代の波は容赦なく彼らを呑み込んでいく。 夫のラウリは突然の合理化に伴う「くじ引き」という非情極まりない理不尽さで解雇され、妻イロナの勤め先も大手チェーンに買収されて閉店。夫婦揃って一夜にして職を失ってしまう。
そこから始まるのは、まさに泥臭いまでの求職活動と、不条理の連続だ。 プライドを捨てて働き口を探すものの門前払いを食らい、ようやくありついた場末の食堂では給料を踏み倒され、妻の正当な対価を取り返しに行ったラウリはチンピラに袋叩きに遭う。車を売り払った金を握りしめ、一発逆転を狙って向かったカジノですべてをスッてしまうラウリの姿などは、あまりに不器用で、世渡り下手で、胸が締め付けられるほど哀しく、そしてどこか愛おしい。
世の中の要領の良い人間なら、もっと器用に立ち回り、涼しい顔で生き抜いていくのかもしれない。だが彼らは、要領よく立ち回る術を知らない。口数は少なく、愛想笑いも下手。ただ愚直に、目の前の不運を受け止めながら立ちすくむしかないのだ。
そんな彼らがどん底で見出したのが、「自分たちの手でレストランを開く」という無謀とも思える挑戦だった。
銀行の冷たい融資拒否という壁にぶち当たりながらも、彼らの誠実さを知る旧店の元オーナー夫人・スヨホルム夫人が手を差し伸べる。アルコール依存症で荒れていた昔馴染みの腕利きシェフ・ラユネンを更生施設から連れ戻し、かつての仲間たちが一人、また一人と集まってくる。 看板を塗り直し、店内を整え、誕生した店の名は「ワーク(Työ)」。
迎えた開店初日。 ランチタイムになってもドアは開かず、店内を包む重苦しい沈黙と焦燥感。誰もが息を呑むあの張り詰めた時間の描写は、事業を起こし、看板を掲げたことのある者なら誰もが胃の痛くなるようなリアルさだ。
だが、カウリスマキのまなざしは決して彼らを見捨てない。 一人、また一人と扉が開き、やがて客席は満席に。鳴り響く電話の先からはディナーの団体予約が入る。大仰な歓喜の叫びも、派手な抱擁もない。ただ、静かに店先へ出て、一服の煙草をくゆらせながら見上げる青空に、ぽっかりと浮かぶ白い雲。
何の後ろ盾もない不器用な人間たちが、汗を流し、涙を呑み、それでも互いの腕を取って小さな一歩を踏み出す。 世渡り下手な自営業者の泥臭い汗と涙、そしてそこに宿る凛とした誇りと静かな温もり。 カウリスマキが切り取るこの愛すべき世界に、いま改めて、深く心を揺さぶられている。

